2011年6月18日土曜日

徒然草最終段

娘が思い立ったように質問してきた。

娘 「人間はおかあさんのおなかから産まれてくるでしょ。じゃあ、一番最初の人間はどこから産まれてきたの??」

父 「、、、、、、うーん、どこからだろうね。それは、すごく難しい質問だなぁ、、、、、」

娘 「やっぱり神様が産んだんじゃない?」

なかなか、もっともらしい推測だ。娘もなかなかやるものだと感心してしまった。

しかし、、、、以下のような推測も飛び出てきてびっくり。

娘 「それとも、木からぽとっと落ちてきたんじゃない??」

うーん、どうせなら神様説のほうが崇高だしそっちの説を採用しようよ!


徒然草最終段

八つになりし年、父に問ひて云はく、「仏は如何なるものにか候ふらん」と云ふ。父が云はく、「仏には、人の成りたるなり」と。また問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父また、「仏の教によりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教え候ひける仏をば、何が教へ候ひける」と。また答ふ、「それもまた、先の仏の教によりて成り給ふなり」と。また問ふ、「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」と云ふ時、父、「空よりや降りけん。土よりや湧きけん」と言ひて笑ふ。「問ひ詰められて、え答へずなり侍りつ」と、諸人に語りて興じき。

古今東西を問わず普遍的な議論というものは存在するものだ!