2011年1月28日金曜日

海部俊樹の回顧録



歴史好きな自分だが、昭和の政治史にもそれなりに興味がある。

この本は海部俊樹の政治家人生を自ら書き下ろしたもので、一国の総理大臣の著作としては軽いなという印象を受けるが、海部俊樹の総理時代を昨日のことのように覚えている自分としては、興味深いエピソードが多く語られている。

小沢一郎に関する記述はかなり辛辣で、彼に対し非常にネガティブな感情を持っていることがよくわかる。

でも、この本で一番印象に残ったのは竹下登の人物評に関するくだりで、

「はっきりいって、竹下登という政治家から国家観を聞いたことはない。そういうことはどうでもいい人だった、と正直思う。」

というごく短いこの一文だ。

権力を握ることそのものが彼の人生の目的であり、国をこのようによくしたい、だからその手段として権力を握りたいという人物ではなかったということがこの短い一文に端的に表現されていると思う。

学生時代に、立花隆の「巨悪VS言論」という田中角栄研究の集大成本を読んだことがあるが、その中にもこの竹下登評と本質的に同じことが書かれていた。

つまり、田中角栄も権力の頂上にのぼりつめるために政治家に必要とされるあらゆる能力を備えていたが、その最高権力を握ったあかつきに彼がこの国をどうしたいのかという、政治家としてある意味で最も大切な国家観なり理念がない人物であったというくだりがあった。

一方、中曽根康弘は、彼がまだ若く自分が将来総理大臣になるなどという可能性の全くない時期から、自分が総理大臣になったあかつきには日本をこう変えて行きたいというプランを克明にノートにつけていたという。

理念や信念はあれど政権を奪取する力がないというのではそもそも話にならないが、竹下登やその師の田中角栄のように政権を奪取したはいいが肝心の理念がないというのもこれまた国家にとっては大きな不幸である。

そう考えると、自分の中で中曽根康弘という政治家に対する評価は定まっていないが、少なくとも彼のこの若い頃のエピソードには惹かれるものがある。