2011年2月28日月曜日

おっぱいが!

(水泳教室についての会話の中で)

父 「夕方の遅くから始まるクラスは、もっとお兄ちゃんやお姉ちゃんのためのクラスなんだよ。」

娘 「えっ!お兄ちゃんっておひげのはえてるぐらいのお兄ちゃん???」

父 「そうだよ、ずいぶん大きいお兄ちゃんだよ。」

娘 「じゃあ、お姉ちゃんっておっぱいのはえてるぐらいのお姉ちゃん!!???」

父 「、、、、、、、、、、、、、」

うーん、おっぱいが「はえる」とはなかなかユニークな発想なり。
こりゃ、一本取られた!

2011年2月27日日曜日

もぐらのお家

娘 「パパ。もぐらはどこに住んでいるの?道の下?」

父 「うん、でもアスファルトで道が覆われているところは、もぐらさんが地上に顔を出せなくて苦しい苦しいになっちゃうから住めないんじゃないかな。」





















娘 「パパ。ここだったら大丈夫??」

父 「確かにここだと地上に顔を出せるけどちょっと狭そうだからやっぱり無理じゃない?」





















娘 「パパ。ここだったら大丈夫??」

父 「うん、ここなら確かに広いし、まぁ大丈夫、、、、、かな??!!」

もぐらのお家の至適敷地面積に関する問題。これは大人にとってもなかなかの難問である。

2011年2月26日土曜日

増築

娘の新築の家にガレージが増築されました!

ナイスリフォーム!
雨が降っても大丈夫、屋根付きです。

2011年2月25日金曜日

地球の裏側 その2

現在アメリカサンディエゴに留学中の医局の同僚の先生が一時帰国中で、昨日は超ひさびさにお会いして遅くまでその先生を囲む会をしていた。

我々の留学時期とがぶっていて偶然にもすぐご近所に住んでいたので、娘もすごくかわいがってもらってたくさんの思い出を共有させてもらった。

今朝の会話、、、。
父 「昨日、E先生と久しぶりに会ったんだよ。」

娘 「えっ??!!アメリカで会ったの?日本で会ったの?」

父 「、、、、、、、。う、うん、やっぱり日本でね、、、、。」

アメリカが地球の裏側であることは理解しているが、距離感まではつかめていないようだ、、、、。

2011年2月23日水曜日

二者択一

11ヶ月の息子が寝つくに寝付けず泣いてぐずっている。

父 「どうやったら寝かしつけられるかなぁ?」

娘 「パパ、やり方がふたつあるよ。」

父 「教えて。どんなやり方とどんなやり方?」

娘 「ひとつは、ミルクを飲ませてだっこするやり方。すぐ寝るよ。」

父 「もうひとつのやりかたは?」

娘 「ミルクなしで、そのかわり、寝るまで我慢してずっとだっこし続けるやり方。いつか寝るよ。」

父 「、、、、、、、、」

なるほど、、、、。
たしかに理詰めで考えるとこの二つの選択肢のどちらかということになるな。

娘よ、ありがとう。目からウロコとはこのことか。

やはり、前者の選択肢を是非とも採用しよう、、、、。

2011年2月22日火曜日

竣工祝い

娘がここ数日必死に取り掛かっていたダンボールハウスが完成した。
光栄にも竣工祝いにお招きいただいた。


玄関と窓がちゃんとあります。


家の中にはすでに布団がセットされていて本やおもちゃなどもすでに搬入済。

新築なのにすでにどっぷり生活臭が、、、、、。


部屋の壁には立派な壁画が一面に。
女の子らしくハートマーク!

もくもくと無言で作業していたのがとにかく印象的だった。

2011年2月21日月曜日

ひっくりかえった!その2

娘 「パパ、アメリカは日本と逆なの??? 今、アメリカは昼??、夜???」

父 「逆だよ。アメリカは地球の裏側。日本が昼ならアメリカは夜、日本が夜ならアメリカは昼だよ。ぜーんぶ、逆。」

娘 「えっ!!じゃあ、アメリカのひとは、今みんなひっくりかえってるの??」

父 「...........」

エジプトのみなさんに引き続き、今度はアメリカのみなさんもぜーんぶひっくりかえっちゃいました!


どうやら地球が丸いということもわかっているらしい。

2011年2月20日日曜日

アンパンマン

平凡な日曜日。午後から娘を連れてアンパンの映画に行ってきた。


悪役の魔女(ポスターの一番上のキャラクター)が娘にはかなりハードだったようで、途中でいったんギブアップ。場外退場し二人で体勢の立て直しをはかる。


ドアを半開きにしておそるそる話の展開をチェックして、こわいシーンが去ったのをきっちり確認してから再び着席。


その後は、アンパンマンがきっちり退治してくれたので一件落着。







得意の一眼レフは登場する間もなく(というより使い方がよくわからず)、今日の外出はあっけなく終了してしまった。

2011年2月19日土曜日

ついに購入!一眼レフデジカメ

今日もいつもどおりの土曜日。仕事を終えて、娘のスイミング教室の見学。インフルエンザで行けなっかたぶんの振替えレッスンだ。

クラスが以前よりあがって(みどり組さんというらしい)、けっこうハードみたい。
本人曰く、「めんどくさい」らしいが、実際にはかなり必死に泳いでいた。

その後、京都駅前に最近できたヨドバシカメラに、懸案の一眼レフデジカメを購入に行った。
清水の舞台から飛び降りる気持ちでCanonの「EOS Kiss X4」というモデルを買った。

近日中に「X5」というnew modelが出るらしく割安だったが、それでも清水の舞台からかなりの速度で飛び降りた。まあ、写真を趣味にしようと思っているのだからいいじゃない、と自分で自分を慰めながら、、。せっかくだからこのカメラで納得のいくまで清水の舞台の写真を撮りに行こう。





















「絶対一緒に行く!」といって娘も張り切ってついてきてくれたのはいいのだが、予想通り水泳の疲れがたまったのか店に入るや早々に「早くおうちに帰って、お風呂に入って、おでんを食べて寝る。」と言い出した。

だからいわんこっちゃないと思う間もなく、あれよあれよと全ての動きが鈍化&停止し始めた。
これはやばい!というわけで、結局、あまりじっくり選べなかったけど、たぶんこのカメラを買って正解だったはずだ(と思いたい)。

2011年2月16日水曜日

徳川綱吉の身長は?



医者でもある筆者が、歴代徳川将軍の健康状態やその死因について史料に基づき科学的な解明を試みた本。9代将軍家重と13代将軍家定がアテトーゼ型の脳性麻痺であったことはよく知られた事実だ。

この本の中で特に面白いと感じたのは歴代将軍の身長で、おしなべどの将軍も身長が低かったのには驚いた。

ほとんどが160cm以下の身長で、とくに5代将軍徳川綱吉にいたってはなんと推定130cmたらず!ととびきりの低身長だったようだ。

なんらかの内分泌異常による成長障害があったと推測されるようだが、それにしても、徳川綱吉といえば、「元禄時代」、「生類憐みの令」、「赤穂浪士」、など多くのキーワードが思いつく特によく知られた将軍で、TVや映画でもよく取り上げられるキャラクターなだけにその実像とのギャップに驚かされる。

江戸城本丸大広間で行われた諸大名との公式の謁見儀式などの光景はどのようなものだったのだろう。

さらにいえば、歴代将軍の中でも大柄な将軍として知られ、「暴れん坊将軍」の名で有名な8代将軍吉宗も、推定155cmと現代の感覚から言えばやはり小柄だったようだ。

我々現代人が江戸時代にタイムトラベルしたら、なんとも不思議な気分になるのだろう。

2011年2月15日火曜日

東山の雪景色

昨日の京都は午後になりまとまって雪が降った。

今年の京都は本当によく雪が降る。
といっても、ずっと京都にいたわけではないので通ぶったことはいえないが、、、、、、。

朝の東山にはまだ昨日の雪が残っていて、うっすら雪化粧をした黒谷と大文字が非常にきれい。




ちなみにこれは昨日の晩に撮った夜の東山の雪景色。

よく、定点観察で四季の移ろいを撮った写真をみかけるが、これから春夏秋冬と東山の四季の移ろいを自分できれいな写真におさめてみたい。







昔から旅行に行ったら写真を撮るのはとても好きだったが、新しい自分の趣味に一眼レフのデジカメを買ってみようかと目下企み中だ。

2011年2月14日月曜日

革命

エジプトがなんだかえらいことになっている。
娘に「エジプトがひっくりかえっちゃったね。」と何気なく言ったら、

「えっ!みんな、さかさまになっちゃったの???」

と聞き返された。

.............?????

でも、それはそれで会話が成立しているところをみると、どこで学んだかは知らないが、
どうやらエジプトがどこかの「国家」であるということはわかっているらしい。

それにしても娘の頭の中ではどんな光景が浮かんでいるのだろう。
子供の発想は本当に面白い。






ところで、、、、
エジプトには行ったことがない。
やはり、一生に一度は行ってみたい。(もちろん、これはWebから拝借した写真です!)

2011年2月13日日曜日

銭湯

夕方、娘といっしょにスーパー銭湯ならぬ近所の「普通の銭湯」に行った。

番台があってその両脇に男湯女湯のある昔のドリフターズのコントに出てきそうな昭和の匂いのする銭湯だ。先日友人と行った銭湯もそうだが、京都にはこういう風景がまだまだ日常生活の中にあるというのがうれしい。





















店のおばあちゃんが、娘に湯船で遊ぶぜんまいで動くひよこのおもちゃをかしてくれたり、そのおばあちゃんが、他のお客さんのじいさんに何かよくわからないが「説教」していたりして、昨日の理髪店に続きこれまたほのぼのした雰囲気だ。

風呂上りに銭湯にはつきもののクラシカルなコーヒー牛乳を飲んで店を出た。
京都銭湯めぐりというのも楽しいかも。

2011年2月12日土曜日

理髪店

京大時計台のすぐ近くの吉田神社から歩いてすぐの理髪店で散髪してきた。

特に深い意味はなく、とても空いていて(というより客が一人もいない)、お値段も学生街らしくGoodだったのでふらっと入った。

















年代がかったお店でなんともいい味が出ているのだが、ご高齢のマスターと雑談をしていると、いろいろ面白い話が聞けた。

明治30年頃、マスターの先々代が創業した理髪店だそうで、まさに京大の歴史とともに歩んできた店とのこと。なにしろ、京大の有名人がこれでもかといわんばかりにこの店のお客さんだったのだ。

ともにノーベル賞候補にあがった京大医学部の大物教授、本庶佑教授と中西重忠教授、そしてその師匠の早石修教授もマスターとは長い付き合いで、はるか昔、学生時代の本庶先生とマスターの会話についても聞けたりして面白かった。

まさに、日経新聞の「私の履歴書」の世界だ。

他にも、
藤原元典(京大公衆衛生学教授、アリナミンの発見者)、
藤波鑑(藤波肉腫ウィルスの発見者)、
西田幾多郎(哲学者、京都学派創始者)、
近衛文麿(総理大臣)

などもこの店のお客さんだったようで、歴史を感じさせる話がもりだくさん。

娘もついてきていたが、待っている間にサービスに「コアラのマーチ」のお菓子をくれた。
ほのぼのしてとてもいい感じの店だった。

そういえば、湯川秀樹のことを聞くのを忘れたので次に行ったときに聞いてみよう。

2011年2月11日金曜日

人生初の経験

連休初日の金曜日。朝から雪。
TVでは金閣寺の雪化粧がうつっていたが、家の周りはあまり積もらず1月の時のような風情はない。





















午後は娘のリクエストでひさびざに例の嵐山のスーパー銭湯天山の湯に。
なんと、娘が到着するなり今日は一人で女風呂に入ってくると言い出した。

ちょっと心配だったが、思い切って娘の一大冒険を許すことに。





















自分も一風呂あびてあがってくると、しばらくして娘が意気揚々として戻ってきた。
一人で服を脱いで、ロッカーに服を入れて、温泉に入って(室内風呂も露天風呂にも行ったらしい)、体と頭を洗って、また着替えて、と彼女にとっては大冒険だったと思うがよく頑張ったもんだと驚きと感動を覚えた。子供の成長は本当に早い。

よく見ると、なぜか手には缶ジュースを持っている。
ロッカーの鍵に付いているバーコードを使って更衣室の自動販売機でジュースが買えるのだが、風呂上りにちゃっかりと自分の好きなジュースをゲットしてきたのだ。

彼女にとって人生初の自分の手による買い物だ。





















夕食を食べて一服してからもう一度風呂に入ることにしたが、やはり今度も自分一人で入ってくるとのこと。またまた首尾よく一人温泉入浴に成功!

しかも、今度はお茶のボトルを手に持って満面の笑みでのご帰還だ。





















温泉の外では、香ばしい匂いをプーンと漂わせていかにもおいしそうなメロンパンが売っていた。
ためしにひとつ買って家路を急いだ。

2011年2月8日火曜日

インフルエンザ騒動

子供の体調は悪くなるのも早いがなおるのも早い。

娘のインフルエンザは日曜には改善の兆しをみせ、昨日には完全復活。
いつものようにどたばたはしゃぎだして元気も元気でほっとした。

というのもつかの間、今度は1歳に満たない息子のほうにしっかりうつってしまい、昨日から高熱とともにミルクの飲みも悪くなり尿量も減ってしまった。

まだ小さいのでちょっと(かなり)心配したが近所の小児科で診てもらい投薬を受け、こちらもおかげさまで速やかに快復し、今朝にはけなげにも笑いながらはいはいしていた。

今回のインフルエンザ騒動であらためて日本の医療の素晴らしいところを実感した。

娘は職場の病院の救急外来で、息子は近所の小児科で診てもらったが、こんなに簡単に医者に診てもらえて、適切な検査と処方を受けることができ、かつ医療費も安い、というのはアメリカでは考えられないことだ。(それに、なんといっても日本語が通じるし!!)

日本の医療システムの問題点が大きな社会問題になっている。
自分も現場で働いていて矛盾や疑問点を感じることはあるが、このような日本の医療の素晴らしい点にも目を向けなくてはいけないと思う。

2011年2月6日日曜日

日当直

今日は朝から明日の朝まで24時間日当直。
空き時間を大いに利用して2月末日締切の専門医申請のための書類作成にいそしんだ。

日中はコールも少なく書類作成がかなりはかどったので今回はラッキーな日当直だ。

昔は「取らないと気になるが、取っても食えない」と言う意味で、博士号のことをちゃかして「足の裏の米粒」と言ったようだが、むしろ現在は、この日本の専門医制度こそまさに「足の裏の米粒」と言うべき存在であろう。

少なくとも現行のシステムで濫発されている専門医資格というものに本質的に意味があるとはとうてい思えない。受験費用、登録費用、維持費用とコストもバカにならないしなにもいいことはない。

と言いながらも、自分もこれで4つ目の専門医取得を試みようと今現在せっせと書類を仕上げているわけで、思わずそんな自分に苦笑する。

もう、今回の専門医取得で最後にしよう!!

2011年2月5日土曜日

旧友と再会。盛りだくさんの一日。

今日は普通の土曜日だったが、けっこう盛りだくさんの一日だった。

前半は娘のインフルエンザ騒動。
ここ最近幼稚園でかなりはやっているようだが、朝から典型的な症状が出現。
職場の救急外来にお世話になり、案の定インフルエンザ陽性が発覚。
親切に対応してもらって投薬してもらった。

また、今日は娘の幼稚園で園児達の工作発表会の日で、本人は家でお休みさせておいて自分は作品を写真におさめるべく幼稚園に足を運んだ。

たくさんの作品の中からようやく娘の力作を発見。ぱちぱちといつものようにこれでもかと写真におさめる。
















後半は研究会で京都に来ていた中高時代の友人と再会。
学生街の小路地を入ったところにある寿司屋に行くことにした。

学生時代にも何度か行ったことのある昔ながらの風情ただよう寿司屋で、店の雰囲気も大将も当時と全く変わってなくて、昔にタイムスリップしたようななんとも不思議な感じがした。






















ビールを片手に友人と寿司をつまむ。最高の一時だ。

彼は現在放射線の分野でばりばり活躍中。
これからも放射線の領域をどんどん引っ張ていってもらいたい。

















寿司屋を出てすぐのところにこれまた懐かしい雰囲気の昔ながらの銭湯があるのだが、急遽二人でお風呂に入ることに決定。風呂の中でもいろいろ語って楽しい一時を過ごした。





















次は、春に京都の名所案内をする約束をして別れた。
これからもお互いに頑張りましょう!

2011年2月4日金曜日

黒田官兵衛「播磨灘物語」

「播磨灘物語」は戦国武将黒田官兵衛を主人公とした司馬遼太郎の小説である。



黒田官兵衛は知る人ぞ知る豊臣秀吉の名軍師であるが、歴史好き以外の人には意外と知られていない武将かもしれない。

本能寺の変に際して秀吉は明智光秀を討つべく中国地方から機敏に軍を引き返したが、有名な
この「中国大返し」も黒田官兵衛の入れ知恵によるものだし、秀吉の本能寺の変以降の目覚しい天下統一事業は黒田官兵衛というブレインがいてはじめて可能となったものである。

また、あまり知られていないが、大坂城の縄張り(設計)も実質的に黒田官兵衛が行ったとされる。

天下が定まっての後年、秀吉は退屈しのぎの雑談として周囲の者に「自分がもしいなくなったら誰が天下を取るか当ててみよ。」と聞いた。その質問に対し、徳川家康や前田利家などの大大名の名をあげる者はいても、誰ひとりとして黒田官兵衛の名をあげる者はいなかったという。

秀吉は「全部外れだ。それは黒田官兵衛よ。おまえらは彼の本当のすごさを知らない。彼が本気になれば天下を取ることなどいともたやすいことなのだ。」と答え、その場にいた者はその意外な秀吉の答えに驚いたという。

黒田官兵衛とともに秘密裏に謀略の限りを尽くして天下を奪取した秀吉にしかわからない黒田官兵衛の凄みというものがあったのだろう。

秀吉は天下統一事業の過程で黒田官兵衛の智略を散々に利用したが、いったん政権が安定してからは彼の智略をおそれむしろ彼を敬遠した。黒田官兵衛のすごいところはそのあたりの機微をよくわきまえていたことで、秀吉の処遇に一切不満の様子を見せることなくむしろ自分の存在を目立たぬようにして秀吉に二心のないことを示した。

九州中津で隠居となり完全に世間の第一線から退いたかにみえた黒田官兵衛だったが、彼は晩年になり長年心の奥底に秘めていた天下取りの野心をむき出しにし、実際にその行動をおこした。

彼の天下取りの構想は雄大であった。

関ヶ原で石田三成と徳川家康が戦っている間に、その混乱に乗じて九州を平定して自己の勢力を拡大し、関ヶ原の戦いで両軍が消耗しきったその後に、そのどちらかの勝者と戦ってこれを討ち、漁夫の利をえて天下をかっさらおうとしたのだ。

彼の予想に反して関ヶ原の戦いはあっけなく半日でけりがついてしまったため、この天下取り構想は成功しなかった。しかし実際に、彼はただの隠居の身でありながら、秀吉も警戒したその智略を駆使して九州北部一円をあっという間に手品のように制圧してしまったというから驚きだ。

天下取りが実現不可能と悟るやいなや、彼はさっと身をひそめて再びただのご隠居となり、その後は一切爪を剥き出すことはなかった。

なお、官兵衛の息子黒田長政は関ヶ原の戦功により家康より大抜擢を受け、筑前福岡52万石を拝領し福岡黒田藩の藩祖となっている。

さらにいえば、現在の福岡といえば九州一の大都会だが、この福岡という地名は、官兵衛の出身地である備前国(現在の岡山県)福岡を記念して官兵衛の指示でつけられたという。

いつかNHKの大河ドラマで取り上げられるべきユニークな歴史上の人物だ。

2011年2月2日水曜日

またまた丹後での外勤 その2

朝から外勤病院での仕事。
病院へ向かうタクシーの窓からはあたり一面の雪景色。

















無事仕事を終え京都に戻るのだが、峰山駅のすぐ横に新鮮な魚を売っている魚屋さんがあり、
電車が来るまでの一時、その店でおいしそうなカニや魚を見ては目の保養をした。





















丹後の冬はカニがおいしいことで有名で、特に丹後でとれる高級カニを「間人蟹(たいざがに)」というそうだ。その間人蟹がこの店にもあったが、確かに立派でお見事なカニだ。

でも、お値段も超一流でびっくり。高い物だと4万円近くもするそうだ。
いつか一度は食べてみたいが、今回はやはり分相応に目の保養だけにしておいた。






















線路にまで雪が積もった雪の峰山駅もなんともしぶい趣があり、これまた写真にぱっちりおさめて
電車に飛び乗った。来月また来ます。次は春の息吹を感じる風景になっているのだろうか。

2011年2月1日火曜日

またまた丹後で外勤

今回は変則的だが2週連続で丹後での外勤日。

峰山は1メートルも積雪していると聞き電車への雪の影響を心配したが、あっさりと峰山のホテル着。駅からホテルまでは徒歩数分だが、たしかに道路の脇にはどっしり1メートルぐらいの高さまで雪が積もっている。

ホテルに入るとすぐに浴衣に着替えてレストランへ直行。
すでに自分の中で恒例になっている生中ビールをグイッとひと飲みしてのリラックス夕食タイムだ。
とにかく、旅先で生ビールでのどを潤しおいしく夕食をいただく時間というのはまさに至福のひと時だ。






















その後、最上階の大浴場へ。
平日のため貸切のことも多く広い浴室を独り占めだ。

















ビール&風呂で最高とは我ながらまぎれもなくおやじ化しているなぁ、、、。
横浜に引き続きなんかリラックスしてばっかりのようだが、普段はそれなりに頑張っているのでこれはこれでよしと勝手に自分に納得。こういう時間もとても大切、大切。